2009年06月28日
(日本の名工)宮大工「西岡常一」
(日本の名工)宮大工「西岡常一」

西岡常一棟梁
西岡常一 薬師寺の伽藍再興を大きく支えたもう一人の人物は、宮大工の西岡常一(にしおかつねかず)である。法隆寺近くの宮大工の家に生まれた西岡は、1934年から始まった法隆寺の「昭和の大修理」で、世界最古の木造建築の金堂や五重塔の解体修理を手がけた。

薬師寺五重ノ塔
薬師寺の再興
薬師寺は、1528年(享禄元年)の兵火により、東塔を除く諸堂が灰燼に帰した。薬師寺の本尊を祀る金堂の復興は、橋本凝胤住職時代からの寺の宿願であった。

薬師寺金堂
高田好胤 1967年(昭和42年)、高田好胤(たかだこういん)が管主(住職)就任と同時に、白鳳期の代表的建築物である金堂の復興を提唱した。般若心経(はんにゃしんぎょう)を巻紙に写す「百万巻(ひゃくまんがん)写経」を発願し、新しい宗教運動としてブームを巻き起こした。
この金堂復興計画が世間の注目をあびたのは、昭和時代の世界最大の木造建造物であることと、一般大衆を相手に百万巻の写経を勧進し、管主自らが全国を行脚したことである。この試みは見事に成功し、金堂は1976年(昭和51年)に復興した。
その後も西塔や回廊の一部などが次々と復元した。2002年には講堂が完成する。写経は現在でも続いており、鉛筆を使ってもよく、誰でもできるようになっている。奉納した写経は、全て金堂に永久保存される。
高田好胤管主は、1998年(平成10年)6月、74歳で遷化(せんげ 高僧の死去)され、奈良市西ノ京町の同寺慈恩院で本山葬が営まれた。故人と親交の深かった人ら約4,000人が参列し、故人の遺徳を偲んだ。檀家を持たない薬師寺では、浄土真宗の僧侶により葬儀が執り行われたという。

西岡常一棟梁
西岡常一 薬師寺の伽藍再興を大きく支えたもう一人の人物は、宮大工の西岡常一(にしおかつねかず)である。法隆寺近くの宮大工の家に生まれた西岡は、1934年から始まった法隆寺の「昭和の大修理」で、世界最古の木造建築の金堂や五重塔の解体修理を手がけた。

薬師寺五重ノ塔
薬師寺の再興
薬師寺は、1528年(享禄元年)の兵火により、東塔を除く諸堂が灰燼に帰した。薬師寺の本尊を祀る金堂の復興は、橋本凝胤住職時代からの寺の宿願であった。

薬師寺金堂
高田好胤 1967年(昭和42年)、高田好胤(たかだこういん)が管主(住職)就任と同時に、白鳳期の代表的建築物である金堂の復興を提唱した。般若心経(はんにゃしんぎょう)を巻紙に写す「百万巻(ひゃくまんがん)写経」を発願し、新しい宗教運動としてブームを巻き起こした。
この金堂復興計画が世間の注目をあびたのは、昭和時代の世界最大の木造建造物であることと、一般大衆を相手に百万巻の写経を勧進し、管主自らが全国を行脚したことである。この試みは見事に成功し、金堂は1976年(昭和51年)に復興した。
その後も西塔や回廊の一部などが次々と復元した。2002年には講堂が完成する。写経は現在でも続いており、鉛筆を使ってもよく、誰でもできるようになっている。奉納した写経は、全て金堂に永久保存される。
高田好胤管主は、1998年(平成10年)6月、74歳で遷化(せんげ 高僧の死去)され、奈良市西ノ京町の同寺慈恩院で本山葬が営まれた。故人と親交の深かった人ら約4,000人が参列し、故人の遺徳を偲んだ。檀家を持たない薬師寺では、浄土真宗の僧侶により葬儀が執り行われたという。


