2008年12月18日
文化生産とは、物に衝突する精神の手ごたえ
文化生産とは、物に衝突する精神の手ごたえ
(本文)
文化生産とは、自然の精神との立会いである。手仕事をする者はいつも眼の前にある物について心を砕いている。批評という言葉さえ知らぬ職人でも、物に衝突する精神の手ごたえ、それが批評と言えば、解り切った事だと言うでしょう。(「私の人生観」17‐167)
(感想)
>物に衝突する精神の手ごたえ
私が考えるに、「文化生産=手作り」と小林氏は語っているが、建築士に言わせると「現場、現物、本人」の事ように聞こえます。ものづくりは、やはり発想も生産も基本は、「現場」で起っているし、その評価もやはり現場の感覚、感触にあると思います。
ものづくりの面白さを、後世に伝えて行きたいと思います。
*参考資料:小林秀雄語録「人選の鍛錬」より
(本文)
文化生産とは、自然の精神との立会いである。手仕事をする者はいつも眼の前にある物について心を砕いている。批評という言葉さえ知らぬ職人でも、物に衝突する精神の手ごたえ、それが批評と言えば、解り切った事だと言うでしょう。(「私の人生観」17‐167)
(感想)
>物に衝突する精神の手ごたえ
私が考えるに、「文化生産=手作り」と小林氏は語っているが、建築士に言わせると「現場、現物、本人」の事ように聞こえます。ものづくりは、やはり発想も生産も基本は、「現場」で起っているし、その評価もやはり現場の感覚、感触にあると思います。
ものづくりの面白さを、後世に伝えて行きたいと思います。
*参考資料:小林秀雄語録「人選の鍛錬」より
2008年12月15日
(音楽、絵画)先ず、見ること、聞くこと
(音楽、絵画)先ず、見ること、聞くこと
小林秀雄氏の音楽、絵画の鑑賞法についての方法論ですが、感覚をとても大事にしていたことが解る文と思います。
(本文)
音楽はただ聞えて来るものではない、聞こうと努めるものだ。と言うのは、作者の表現せんとする意志も近付いて行く喜びなのです。どういう風に近付いて行くか。これは耳を澄ますより外はない、耳の修練であって、頭でどうにもならぬ事であります。(「表現について」18-51、1949年、47才)
(本文)
絵や音楽を、解るとか解らないとかいうのが、もう間違っているのです。絵は、眼で見て楽しむものだ。音楽は、耳で聞いて感動するものだ。頭で解るとか解らないとか言うべき筋のものではありますまい。先ず、何を措いても、見ることです。聞くことです。(「美を求める心」21-243、1955年、53才)
見ること、聞くことの「体験」からしか、芸術の一歩は始まらないという気がします。
小林秀雄氏の音楽、絵画の鑑賞法についての方法論ですが、感覚をとても大事にしていたことが解る文と思います。
(本文)
音楽はただ聞えて来るものではない、聞こうと努めるものだ。と言うのは、作者の表現せんとする意志も近付いて行く喜びなのです。どういう風に近付いて行くか。これは耳を澄ますより外はない、耳の修練であって、頭でどうにもならぬ事であります。(「表現について」18-51、1949年、47才)
(本文)
絵や音楽を、解るとか解らないとかいうのが、もう間違っているのです。絵は、眼で見て楽しむものだ。音楽は、耳で聞いて感動するものだ。頭で解るとか解らないとか言うべき筋のものではありますまい。先ず、何を措いても、見ることです。聞くことです。(「美を求める心」21-243、1955年、53才)
見ること、聞くことの「体験」からしか、芸術の一歩は始まらないという気がします。


